琵琶湖疏水/2 水路とインクライン跡 その1
11 09, 2011 | レトロ・文化財
琵琶湖疏水/1 南禅寺水路閣 の続き

琵琶湖疏水は、滋賀県の琵琶湖から京都市内までひかれた用水路です。
京都への水供給、水運、水力発電を目的として、明治18年に着工、23年に完成。
国家土木事業を西洋の技師に頼ってきた日本において、
琵琶湖疏水は、日本人技師の手による初めての大規模土木事業でした。
国指定重要文化財、国指定史跡、土木遺産、近代化産業遺産に認定されています。
今だ現役の用水路で、今日も琵琶湖から京都へと水を供給し続けています。

蹴上にある船溜。
水運としても利用されていた琵琶湖疏水には、船も流れていました。
しかし疏水と市内との間には、かなりの高低差がありました。
蹴上の船溜で船は台車に引き上げられ、
台車に乗せたまま、インクラインで南禅寺船溜まで下ろされました。

船溜には当時の台車や滑車が展示されています。

蹴上船溜からのびる、長いインクラインの軌道。
当時のレールが今でもそのまま残されています。
今では遊歩道として自由に歩けます。

インクラインの下にある蹴上発電所への水管が、インクラインを横切ります。
合流トンネル出口付近に取水口があり、
この水管を通って蹴上発電所へとひかれています。

この写真では見えにくいですが、
蹴上船溜の先の奥に、第一疏水の第三トンネルの出口が見えます。
その第三トンネル出口の脇に、九条山浄水場ポンプ室があります。
あと見えてませんが、左手に第二疏水の合流地点もあります。

第三トンネル出口にひっそりと建つ、九条山浄水場ポンプ室。
立ち入り禁止なので全体像が撮れませんでしたが、
レンガ造りの美しい建築物です。
京都御所に浄水を送るためだけの施設ですが、
皇室関係施設だけに、たかがポンプ場なれど妥協なきデザインです。
琵琶湖疏水/2 水路とインクライン跡 その2 に続く
['07.11 京都市左京区にて]

琵琶湖疏水は、滋賀県の琵琶湖から京都市内までひかれた用水路です。
京都への水供給、水運、水力発電を目的として、明治18年に着工、23年に完成。
国家土木事業を西洋の技師に頼ってきた日本において、
琵琶湖疏水は、日本人技師の手による初めての大規模土木事業でした。
国指定重要文化財、国指定史跡、土木遺産、近代化産業遺産に認定されています。
今だ現役の用水路で、今日も琵琶湖から京都へと水を供給し続けています。

蹴上にある船溜。
水運としても利用されていた琵琶湖疏水には、船も流れていました。
しかし疏水と市内との間には、かなりの高低差がありました。
蹴上の船溜で船は台車に引き上げられ、
台車に乗せたまま、インクラインで南禅寺船溜まで下ろされました。

船溜には当時の台車や滑車が展示されています。

蹴上船溜からのびる、長いインクラインの軌道。
当時のレールが今でもそのまま残されています。
今では遊歩道として自由に歩けます。

インクラインの下にある蹴上発電所への水管が、インクラインを横切ります。
合流トンネル出口付近に取水口があり、
この水管を通って蹴上発電所へとひかれています。

この写真では見えにくいですが、
蹴上船溜の先の奥に、第一疏水の第三トンネルの出口が見えます。
その第三トンネル出口の脇に、九条山浄水場ポンプ室があります。
あと見えてませんが、左手に第二疏水の合流地点もあります。

第三トンネル出口にひっそりと建つ、九条山浄水場ポンプ室。
立ち入り禁止なので全体像が撮れませんでしたが、
レンガ造りの美しい建築物です。
京都御所に浄水を送るためだけの施設ですが、
皇室関係施設だけに、たかがポンプ場なれど妥協なきデザインです。
琵琶湖疏水/2 水路とインクライン跡 その2 に続く
['07.11 京都市左京区にて]
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