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神岡鉱山跡 その3

12 18, 2014 | 廃鉱山

その2の続き。





鉱山関係施設群から少し離れたヤブの中に、
ひっそり変わった廃墟がありました。
玄関には保育園と掲げられています。
 
2階建てなのですが、山の斜面に作られているので、
2Fが玄関、1Fが地下のようになっています。





玄関から中をのぞいてみました。
保健室のベッド?やマット、スノーダンプなどが見られます。

壁に掛かっている殴り描きのような絵がちょっと不気味です。


 


1Fへのアプローチ階段には、園児の作品らしき絵もそのまま残っているのが見えます。
1Fには、給食センターのような立派な厨房がありました。





草ボウボウのスペースに残っていた遊具。
かつて小学校でもあった場所なのでしょうか。
それとも公園だったのでしょうか。





山の斜面に、段々になった更地があり、その中央に階段がありました。
たぶん、居住地だと思いますが、住居は残っていません。
かつての住人のガーデニングの名残と思われるツルニチニチソウが自生し、
雑草に紛れて繁茂していました。





消防の鐘楼も、ツタに巻かれて残っていました。





壁が落ちそうな住宅跡。
大きくて立派な家です。





場所が変わってこちらは、まだ廃線になる前の神岡鉄道の神岡鉱山前駅です。
ホームまでのアプローチが坑道っぽくてイイですね。

神岡鉄道神岡線は、神岡鉱山の貨物輸送を兼ねた路線で、
富山と奥飛騨温泉郷を繋いでいましたが、
残念ながら、H18年12月に廃線になりました。





こちらは現在も稼働中のエリア。
車の鉛バッテリーのリサイクルが主な業務内容だそうです。
 
現役工場の上の山肌に、鉱山時代の廃墟が見えます。





田んぼの中に、ローマの水道橋のようなコンクリ遺構が残っていました。
軌道跡との事です。
他には、神岡城の敷地内に鉱山資料館があります。





神岡と言えば、今ではスーパーカミオカンデ。
小柴昌俊東大名誉教授が、神岡鉱山跡に作られたカミオカンデにて、
ニュートリノの検出に成功しました。
ニュートリノ研究による功績を讃えられて、教授は'02年にノーベル物理学賞を受賞し、
神岡は注目の町になりました。
 
道の駅「宙(スカイ)ドーム神岡」には、
カミオカンデやニュートリノに関する資料コーナーがあります。
土産物屋の一角に、実物大の光電子増倍管が壁面にズラズラ~と並んでおり、
なかなか圧巻です。
カミオカンデ内部では、この管が1万個以上並んでるそうです。


終わり。



['06.06 岐阜県某所にて]
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神岡鉱山跡 その2

12 17, 2014 | 廃鉱山

その1の続き。







崩落した保安技術係という事務所を、ちょっとだけ覗いてみました。





内部の棚には、調味料や薬品、将棋や卓球ラケット、古い色鉛筆、
まだ食べられそうなウメボシなどが並んでいました。







カレンダーは、89年1月から先がめくられないまま時が止まっていました。
89年1月といえば、昭和天皇が崩御し、平成になった月でした。







ロールに巻かれたコンベアベルトが並んでいました。





ロールベルトを吊るクレーン?





他にもたくさん事務所や施設がありますが、これで後にしました。
これは8年も前の様子です。
この場所の現状が、もっと崩壊しているか、
とうに解体撤去されてしまったかは、分かりません。



その3に続く。



['06.06 岐阜県某所にて]

神岡鉱山跡 その1

12 16, 2014 | 廃鉱山

採掘は奈良時代からと歴史が古く、
豊富な資源で国内でもトップクラスの鉛・亜鉛鉱山だった神岡鉱山。
しかし鉱山からの廃水によって神通川がカドミウム汚染され、
その水で栽培された農作物を摂取した者からイタイイタイ病が多発。
公害訴訟に発展した事は、日本四大公害訴訟としても周知の通りです。

鉱山としてはH13年に閉山しましたが、
鉱山から独立した別会社が敷地内で稼動しています。
また、鉱山跡を利用して作られたニュートリノ観測施設・スーパーカミオカンデも、
H14年のノーベル賞受賞により脚光を浴びました。





神岡鉱山は、山一つまるごと鉱山というだけあって、とにかく広いです。
これは'06年に、その山の中の某所を訪れた時の様子です。





壁に大きく「団結」と書かれた、有名な建物です。





たくさんの鉱山施設が並んでおり、そして、全て廃墟化しています。





木造なので、完全に崩れてしまった建物も少なくありません。





豪雪地帯なので、積雪に耐えられずに潰れたのかもしれません。





鉄骨で覆われた軌道は危なげなく現存しています。
軌道が先のほうまで延びています。
線路に沿って内部を歩いてみます。





線路上に荷台が幾つか残っています。
さらに奥へ。





良いムードの分岐。







従業員を運ぶ貨車が、綺麗なまま残っていました。





残念ながら崩落により、これ以上は進めませんでした。








その2に続く。



['06.06 岐阜県某所にて]


三池炭鉱万田坑跡/4 その他の遺構

01 30, 2014 | 廃鉱山

三池炭鉱万田坑跡/3 職場と事務所 の続き





同じく敷地内には、筒状の遺構が2つあります。
真夏だったので、ツタや雑草に覆われて、ジャングルの遺跡のような状態でした。





筒状の遺構には、入り口があります。





これは汽罐場という、明治期のボイラー施設の煙突の名残です。
そしてこれは入り口ではなく、ボイラーと煙突の接続部です。





動力がスチームから電化され、施設も廃止撤去され、
現在では煙突の基礎部分が2つだけ保存されています。





煙突の奥に広がる、変電施設。





変電施設は立入禁止。
鉄塔や電線に、クズのツタが縦横無尽に繁殖しています。





変電施設の隣にある、第一竪坑櫓の基礎と、閉塞された坑口。
明治期の坑道で、当時東洋一の規模だった竪坑櫓が構えていました。
戦後には廃止され、撤去された櫓は、芦別炭鉱に移設され再利用されたそうです。





以上、主だった施設はこれだけですが、
その他、小さな当時の名残が色々と見られます。









こちらは、桜町トンネルと言う地下トンネル。
荒尾と大牟田を繋いでいる全長130mの生活道路です。
現在は通行禁止で、入り口にはフェンスがあります。





金網の隙間からのぞいてみました。





最後に、遺構見学の受付場所である万田ステーション。

こちらは万田坑の資料館になっており、
当時のジオラマや写真が展示されています。





万田ステーションや遺構には、当時の炭鉱マンの方々がガイドとして常駐し、
希望に応じて解説や思い出話をしていただけます。

私は1時間も、ガイドさんから当時のレアな話やマニアックな話をしていただきました。
ありがとうございました。





朽ちた遺構群を散策後、当時の栄華を写真で見ると、
なんとも言えない感傷に包まれます。

万田ステーションの近くにもう一つ、
万田炭鉱館という本格的な炭鉱資料館があります。
こちらは時間がなくて寄れませんでした。

三池炭鉱は荒尾の万田坑だけでなく、
大牟田の宮原にも大規模な炭鉱遺構が残されています。
今回は宮原坑には行けませんでしたが、いつか宮原坑も訪れたいと思います。

終わり。



['13.8 熊本県荒尾市にて]

三池炭鉱万田坑跡/3 職場と事務所

01 28, 2014 | 廃鉱山

三池炭鉱万田坑跡/2 第二竪坑櫓 の続き





敷地内に、軌道が引き込まれた作業場があります。
「職場」と言う、坑内作業機械のメンテをする場所です。





建物内では現在でも、機械やパーツが当時のままの状態で残されています。

















職場の隣に、古いレンガ造りの建物があります。





この建物は、大正期の坑内の換気施設でしたが、
昭和期に事務所や更衣室へと転用されたそうです。





この事務所跡は、国指定重要文化財となっています。



三池炭鉱万田坑跡/4 その他の遺構 に続く



['13.8 熊本県荒尾市にて]

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